表現の自由考

SNSのキャンセルカルチャーと表現の自由 社会的制裁の光と影

Tags: SNS, 表現の自由, キャンセルカルチャー, 社会的責任, ネット炎上

SNSが社会に広く浸透し、個人が容易に情報発信できるようになったことで、「表現の自由」のあり方も変化しています。その中で、近年注目を集めている現象の一つに「キャンセルカルチャー」があります。これは、特定の言動を行った個人や団体に対し、SNSなどを通じて集団的な批判や非難が集中し、その結果、社会的地位や活動の停止、支持の剥奪などに至る動きを指す言葉です。

キャンセルカルチャーは、不適切と見なされる言動に対する「社会的責任」を問う側面を持つ一方で、表現の自由を巡る新たな問題を提起しています。本稿では、SNSにおけるキャンセルカルチャーが表現の自由や責任概念にどのような影響を与えているのか、その光と影について考察します。

キャンセルカルチャーのメカニズムとSNSの影響

キャンセルカルチャーは、多くの場合、SNS上での投稿や過去の発言などが発端となります。ある言動に対し、不適切である、あるいは道徳的に問題があるといった批判的な意見がSNS上で共有・拡散されることで、議論が巻き起こります。この過程で、批判的な意見に賛同する人々が、対象となった個人や団体への非難を強め、時にはその人が属する組織や活動に対しても影響が及ぶように圧力をかけることがあります。

SNSは情報の拡散速度が速く、匿名またはそれに近い状態での参加が容易であるため、集団的な意見形成や「声」の増幅が起きやすいプラットフォームです。この特性が、キャンセルカルチャーが短期間で広がり、大きな社会的影響力を持つ要因となっています。批判的な意見が集まること自体は、健全な社会における議論の一環とも考えられますが、その過程でしばしば過熱し、対象への一方的な攻撃や私刑のような様相を呈することが問題視されています。

表現の自由との複雑な関係性

憲法で保障される表現の自由は、主に国家権力による検閲や規制から個人の表現を守るものです。しかし、SNSにおけるキャンセルカルチャーは、国家ではなく、他者からの批判や非難という形で表現に対する圧力がかかる現象です。

キャンセルカルチャーにおける批判や非難もまた、個人の表現の自由の行使であると捉えることもできます。ある表現に対し、別の表現で反論・批判する、というのは言論の自由の範囲内です。しかし、問題となるのは、その批判が過度になり、対象となった個人の言動だけでなく人格や過去にまで及び、社会的抹殺を目指すかのような形で行われる場合です。このような集団的かつ過熱した非難は、批判される側だけでなく、それを見ている他のSNS利用者にも「こんなことを言ったら自分も標的にされるかもしれない」という恐れを抱かせ、自由な意見表明をためらわせる「萎縮効果(チルファクター)」をもたらす可能性があります。これは、多様な意見が表明され、議論されるべき健全な公共空間としてのSNSの機能や、表現の自由の本質を損なう側面であると言えるでしょう。

社会的責任と法的な責任の境界線

キャンセルカルチャーは、不適切な言動に対して「社会的責任」を追及する動きとして現れます。これは、法的な手続きを経て責任が問われる「法的な責任」とは性質が異なります。例えば、差別的な発言やプライバシー侵害にあたるような発言は、法的な責任(損害賠償など)が発生する可能性があります。一方、法的には直ちに違法とならない言動であっても、社会的な規範や倫理に照らして問題があると見なされ、キャンセルカルチャーの対象となることがあります。

この「社会的責任」の追及は、時に正当な批判や、影響力のある人物に対する説明責任を求める動きとして機能する場合もあります。しかし、線引きが曖昧で、対象者の言動の背景や意図が十分に考慮されずに一方的に断罪されたり、過去の些細な言動が掘り起こされて批判されたりするケースも少なくありません。また、匿名での参加が容易なことから、無責任な攻撃やデマの拡散が行われやすい環境でもあります。

利用者としてキャンセルカルチャーにどう向き合うか

SNSの利用者として、キャンセルカルチャーの複雑な側面を理解し、どのように向き合うべきでしょうか。

まず、発信する側としては、自身の発言が意図しない形で受け取られたり、過度に拡散されたりするリスクがあることを常に意識する必要があります。表現の自由は保障されていますが、同時に他者の権利や尊厳を傷つけない責任も伴います。特に、社会的影響力が大きい立場にある場合は、より慎重な言葉選びが求められるでしょう。

次に、受信する側としては、SNS上の情報や批判に衝動的に反応せず、冷静に判断することが重要です。情報の真偽を確認し、多様な視点から物事を捉えるよう努める必要があります。また、不適切な言動に対して意見を表明することは自由ですが、個人的な攻撃や誹謗中傷に加担することは避けるべきです。過熱した議論に巻き込まれず、健全な批判と私的な制裁の線引きを意識することが大切です。

結論

SNSにおけるキャンセルカルチャーは、現代社会における表現の自由と社会的責任のあり方を問い直す複雑な現象です。不適切な言動に対する社会的責任を追及する側面を持つ一方で、表現の自由を萎縮させ、健全な議論を妨げるリスクも内包しています。

SNSを利用する私たち一人ひとりが、自身の発言に対する責任を自覚し、他者の批判や意見に対して冷静かつ建設的に向き合う姿勢を持つことが、キャンセルカルチャーの「影」の部分を抑制し、SNS空間をより豊かな言論の場としていくために不可欠です。法的な責任だけでなく、社会の一員としての倫理的な責任についても、改めて深く考える必要性が高まっています。