表現の自由考

SNS過去発言の「ほりだし」リスク 表現の自由と消えない責任

Tags: SNS, 過去, 責任, 表現の自由, デジタルタトゥー

SNSにおける表現の自由を考える上で、一度発信した情報が時間の経過とともにどう扱われるか、そしてそれが発信者にどのような責任を課すのかは重要な論点です。特に近年、「過去のSNS投稿」が掘り起こされ、問題視されるケースが増加しています。これは、SNSの利用経験が長くなり、多くの人がデジタル空間に大量の情報を蓄積するようになったこと、そしてインターネット上の情報が容易に検索・共有される性質を持つことなどが背景にあります。

かつての日記や手紙とは異なり、SNSへの投稿は、公開範囲の設定によっては非常に広範な人々に閲覧される可能性を持ちます。そして、一度公開された情報は、仮に発信者が削除したとしても、誰かがスクリーンショットを保存していたり、ウェブアーカイブサービスに記録されていたりするなど、完全に消去することが極めて困難な場合があります。この「消えない」あるいは「掘り起こされる」可能性は、表現の自由を行使する際の責任について、改めて深く考察することを促します。

なぜ過去の発言が「掘り起こされる」のか

過去のSNS投稿が問題視される背景には、いくつかの要因が考えられます。

まず、インターネットの持つ高い検索性とアーカイブ性です。特定の人物やテーマに関する情報は、容易に過去に遡って検索することが可能です。SNSプラットフォーム自体が過去の投稿を検索できる機能を提供している場合もあれば、外部の検索エンジンや専門のアーカイブサイトが情報を保持している場合もあります。

次に、特定の意図を持って過去の投稿を探索する動きが存在します。これは、著名人の過去の失言を探して批判する目的であったり、採用選考において応募者の人物像を探るためであったり、あるいは単に面白半分で過去の「痛い」発言を晒すためであったりと様々です。政治家や企業の幹部など、公的な立場にある人物については、過去の言動が現在の信頼性に関わるものとして、特に厳しくチェックされる傾向にあります。

また、SNSにおけるコミュニティや特定の話題に対する注目度が高まるにつれて、過去の関連投稿が再評価・再共有されることもあります。その投稿が現在の社会通念や倫理観と照らし合わせて不適切であると判断された場合、批判の対象となるのです。

過去の発言に対する責任の所在

表現の自由は憲法で保障された権利ですが、これは無制限のものではありません。他者の権利や公共の福祉を侵害する表現は、その自由の範囲を超えるとされます。SNSにおける発言についても同様で、名誉毀損、プライバシー侵害、著作権侵害、脅迫、差別的な表現などは、違法行為となり得る可能性があります。

重要なのは、これらの責任が「いつ」発生した発言に対するものか、という点です。法的な責任、例えば名誉毀損罪やプライバシー侵害に基づく損害賠償責任は、原則として発言が行われた時点の法令や社会通念に基づいて判断されます。しかし、その責任追及が可能となる期間には、民法上の消滅時効などが定められていますが、SNS上の「社会的責任」には、法的な意味での時効のような概念は存在しません。

過去の投稿が現在掘り起こされて問題視される場合、その発言自体が過去に行われたものであっても、現在に至るまでインターネット上に存在し続け、影響を与え続けていると捉えることができます。発言者としては、その投稿を削除しない限り、あるいは削除したとしても影響が残り続ける限り、責任から完全に逃れることは困難です。特に、企業に勤務する会社員の場合、過去の個人的なSNSでの発言が原因で、勤務先の信用を損なったり、業務に支障を来したりしたとして、企業から処分を受けたり、損害賠償を請求されたりするリスクも考えられます。これは、その発言が公私を問わず、企業の一員としての評価に影響を与えうるためです。

過去の投稿リスクへの向き合い方

過去のSNS投稿が将来的なリスクとなる可能性を理解することは、表現の自由を行使する上で非常に重要です。以下に、具体的な対策と心構えを述べます。

まず、最も基本的な対策は「投稿前に熟慮する」ことです。将来、その投稿が掘り起こされても問題ないか、公に見られても構わない内容か、他者を傷つける可能性はないかなど、一時的な感情に流されず冷静に判断する習慣をつけましょう。特に、匿名アカウントであっても、身バレのリスクは常に存在することを忘れてはなりません。

次に、公開範囲の設定を適切に行うことです。SNSの多くは、投稿の公開範囲を友人限定や非公開に設定する機能を提供しています。センシティブな内容や個人的な考えを共有したい場合は、公開範囲を限定することで、意図しない広がりを防ぐことができます。ただし、「限定公開」であっても、その範囲内で情報が漏洩するリスクはゼロではない点に留意が必要です。

また、自身のデジタルフットプリントを定期的に「棚卸し」することも有効です。過去のSNS投稿や、インターネット上に残されている自身の情報(ブログ、ウェブサイトなど)を定期的に見返し、現在の自分の考えや立場とは異なるもの、あるいは将来的にリスクとなりそうなものについては、削除や非公開化を検討しましょう。

万が一、過去の投稿が掘り起こされて問題になった場合、その対応も重要です。意図を正確に伝えられなかった、あるいは不適切な表現であったと自身で判断した場合、誠実な謝罪や訂正を行うことが、事態の沈静化につながる場合もあります。ただし、対応の仕方を誤ると、かえって火に油を注ぐ結果となることもありますので、慎重な判断が求められます。

表現の自由とデジタル時代の記録

SNS時代の表現の自由は、同時に「デジタル時代における記録」という側面と切り離せません。一度インターネット上に記録された情報は、半永久的に残り続け、未来の自分に影響を及ぼす可能性があることを受け入れる必要があります。これは、表現の自由を萎縮させるものではなく、むしろその自由を行使することに伴う責任の重さを理解するための重要な視点です。

過去の自分自身の表現と、現在の自分自身がどのように向き合うか。そして、未来の自分が今の表現を見てどう感じるか。このような時間軸を超えた視点を持つことが、SNSにおける責任ある情報発信につながるのではないでしょうか。表現の自由は、発信する側がその影響力と持続性を認識し、自己規律をもって行使されるとき、真に価値あるものとなるのです。