SNSにおける「発言しない自由」:表現の自由と自己検閲の視点
インターネット、特にSNSの普及は、誰もが容易に情報発信できる環境をもたらし、表現の自由を享受する場を広げました。しかし、同時に発言が意図しない形で拡散したり、厳しい批判に晒されたりするリスクも増大しています。こうした状況下で、「何も発言しない」「沈黙する」という選択をする人が少なくありません。表現の自由は、積極的に発言する自由として語られることが多いですが、果たして「発言しない自由」もまた重要な表現の権利と言えるのでしょうか。そして、その選択はどのような意味を持ち、どのような責任を伴う可能性があるのか、深く考察します。
表現の自由と「沈黙の自由」
憲法が保障する表現の自由は、単に自己の思想や意見を外部に発表する自由にとどまらず、これに関連する様々な自由を含んでいます。最高裁判所の判例などによれば、表現の自由は、情報の収集・取材の自由、報道の自由など、広範な権利を包含するものと解釈されています。
この表現の自由の射程は、積極的に発言する自由だけでなく、「発言しない自由」や「沈黙の自由」をも含むものと考えられています。例えば、自己の思想や良心を外部に表明することを強制されない自由は、思想・良心の自由とも関連し、表現の自由の重要な側面を構成します。これは、特定の意見表明を強要されることへの抵抗として、「沈黙する」という選択が個人の内面を守るために重要であることを示唆しています。
SNSという文脈においても、「沈黙の自由」は意味を持ちます。誰もが発信できるプラットフォームにおいて、自分が関心を持たない事柄について発言しない、あるいは特定の論争に対して距離を置く、という選択は、個人の自由な意思決定の範疇にあると言えます。
SNSで「沈黙」を選択する背景
SNS利用者が「沈黙」を選択する背景には、いくつかの要因が考えられます。
一つ目は、発言することによるリスクへの懸念です。過去の炎上事例や、匿名での誹謗中傷などを目の当たりにし、自身の発言が批判の的になることや、プライバシーが侵害されることへの恐れから、発言そのものを控える傾向が見られます。特に、政治的な話題や社会問題など、意見が分かれやすいテーマにおいては、その傾向が顕著になることがあります。
二つ目は、SNS上の「空気」や同調圧力です。特定の意見が大多数を占めているように見える状況や、異なる意見に対する厳しい反応を目の当たりにすることで、自分の意見が少数派であったり、周囲と異なったりする場合に、あえて発言を控え、波風を立てないようにするという自己検閲が行われることがあります。これは、コミュニティからの排除を恐れる心理や、無用な衝突を避けたいという意図から生じます。
その他にも、情報過多の中で、自分が関心を持てる、あるいは貢献できる情報を選別した結果として発言しない、あるいは単に発言する時間や労力を避けたいといった現実的な理由も、「沈黙」の背景として挙げられます。
「発言しない自由」と責任
「沈黙は金」という格言もあるように、安易な発言を控えることは賢明な判断となる場合があります。しかし、「発言しない自由」を行使することが、常に免責されるべき「責任」とは無縁であるとは限りません。
公共性の高い問題や、不正行為、倫理的に問題のある状況を知りながら「沈黙」を貫くことが、社会的な責任との間でどのようにバランスを取るべきかという議論が生じます。例えば、職場での不正をSNSで告発する代わりに沈黙を選ぶことや、差別的な言動が横行している状況で見て見ぬふりをすることが、結果として問題の継続を許容することにつながる可能性は否定できません。
もちろん、個人の安全が脅かされるリスクがある場合や、内部告発の適切な手続きが存在する場合など、単純に「発言しない=無責任」と断じることはできません。しかし、少なくとも「沈黙」という選択が、周囲や社会全体にどのような影響を与える可能性があるのかを認識し、その結果に対して一定の責任が伴いうるという視点を持つことは重要です。
健全なSNS利用における「発言しない自由」の位置づけ
SNS時代における健全な表現活動は、「発言する自由」と「発言しない自由」、そしてそれぞれに伴う「責任」とのバランスの上に成り立ちます。
自己検閲による「沈黙」は、本来自由に表現されるべき多様な意見が失われることを意味し、健全な議論や社会の発展を阻害する可能性があります。しかし、無責任な発言が他者を傷つけたり、社会に混乱を招いたりすることを考慮すれば、倫理的な判断に基づいた「賢明な沈黙」は、時に必要とされる選択です。例えば、不確かな情報を安易に拡散しないことや、感情的な反応を抑え、熟慮するために一時的に発言を控えることは、建設的なコミュニケーションのために重要な態度と言えるでしょう。
個人の安心・安全を守るための「沈黙」は、表現の自由の根幹に関わる重要な権利です。誹謗中傷やハラスメントから自身を守るために発言を控える選択は、最大限尊重されるべきです。
結論
SNS時代における「表現の自由」は、「発言する自由」の可能性を広げると同時に、発言しないこと、すなわち「沈黙の自由」の重要性も浮き彫りにしました。発言することには責任が伴いますが、同様に、状況によっては発言しないことにも社会的な影響や責任が伴いうることを認識する必要があります。
私たちは、自己の安全や倫理的な判断に基づき「沈黙」を選択する自由を持つ一方で、公共の利益や他者への配慮という観点から、発言すべき状況であるかを常に問い直す必要があります。健全なSNS利用のためには、こうした「発言」と「沈黙」の選択が持つ意味を深く理解し、それぞれの状況において最適な判断を下すためのリテラシーを高めていくことが求められています。